カルマの法則

カルマの法則 2005年05月07日 22:04 Pages: 1 2

カルマと潜在意識

ここまでで語った様に、どーもカルマは心、潜在意識の働きにも深く関わっているっぽい。
これは私の個人的な体験からの考え方だが、カルマは自分で意識するようになると返りが早くなる様に感じる。つい友人に傷つく様な事を言ってしまい、悪い事を言ってしまったなぁと気にしていると数日後、全く違う人に似た言葉で傷つけられると言う事がよくあるのだ。
この時、ああぁ、これは数日前自分が吐いた言葉のカルマが返ってきたんだなと納得させられる。そう捉えると妙に心がスッキリするのだ。何かつかえていた物が取れたような感覚だ。

  • カルマの消化

 

ここで一つの考え方として思うのは、カルマは潜在的にある「罪悪感」の様なものが引き起すものなのではないかと言う事。
つまり誰かを傷つけると言う事は、同時に自分の潜在意識が罪悪感で傷付く。この潜在意識の傷を癒そうとして自ら傷つけられる運命を求めてしまうのではないかと感じるのだ。

ラクネラくんとプジャくんの例で言うと、ラクネラくんの表層意識では「これはアイツの為に殴ったんだ。愛のムチだ。」と納得してたとしても、潜在意識が「やっぱり悪い事をしたなぁ。痛かっただろうなぁ。」と罪悪感で傷付く。敏感な人なら胸が痛んだりするだろう。

これを癒そうとして、ラクネラくんの潜在意識が自ら同様の痛みを求めて運命を動かし始める。来世で誰かに殴られるか、あるいは電柱にぶち当たって怪我をしたりするのかもしれない。

  • カルマの消化

 

「行動」も「言葉」も、「気持ちのカルマ」がベースにあるとすれば、この「潜在的罪悪感説」が比較的カルマの原理として理解しやすいのではないだろうか。

では、良いカルマの場合はどうなのか。同様に仮説を立てるならば、誰かに対して良い施しをする事で、潜在意識に充実感が生じる。その充実感が、それ相応の良い運命へと潜在的に運命を加速させているのではないだろうか。

この罪悪感による傷は消し去ろうとし、充実感は運命を加速させると言う現象。ここから潜在意識の浄化作用、いや魂の浄化作用の様なものを感じられないだろうか。

怪我をした時、人間の体は自然とその傷を癒そうとする。
また体を鍛えたりすると健康になっていく。これらと同様に魂にも自然治癒力の様な浄化させようとする働きがあるとしたら、カルマもその魂の浄化作用の一つの現われだと言えるだろう。

そう考えると、あらゆる幸も不幸も、魂の浄化の為に必要な運命なのかもしれない。あらゆる偶然と呼ばれる現象が、実は我々にとって必然であると言う事ができるだろう。

カルマから見た六道輪廻

ここで少し死後の世界についてもカルマの働きで考えてみたいと思う。
前章で話した原因・縁・結果の「縁」について思い出していただきたい。潜在意識にある罪悪感や充実感と言った要素が、それぞれの要素と関連した現象を引寄せているとするならば、似た要素を持ち合わせている人も同時に引き寄せていると言えるだろう。これが「縁」を生じる原理とも言える。

さらにカルマは転生にもまたがって生じる。つまり肉体はなくともカルマは残ると言える。だとすれば、カルマの要素が蓄積される潜在意識と言う領域は、ある意味、魂の領域かもしれない。
ならばカルマと同様、「縁」と言うものも転生をまたがっていくと考えられるだろう。似た要素を持ち合わせているからこそ、前世や来世で何度も出会うワケだ。そして、この「縁」と言うものに注目すると死後の世界も理解できてくる。

例えば喧嘩好きの極悪プジャくんと、同じ様に喧嘩好きの極悪ラクネラくんが全くの他人で全く違う土地で事故で亡くなったとする。
二つの魂にもう距離的にさえぎるものは無く、喧嘩好きと言う似た要素、似たカルマを持っているので、あの世では強烈な「縁」で思いっきり引き寄せ合う。二人は喧嘩好きの極悪ソウルメイトとなるのだ。

  • カルマの消化

 

でも、喧嘩好きなので互いに永遠喧嘩を続ける。喧嘩程度ならいいだろう。もし二人が殺人鬼のソウルメイトだとしたら‥気が付けばそこには世界中から殺人鬼のソウルメイトが集まってくる。互いに延々と傷つけ殺し合う世界が生じる。これがいわゆる地獄の世界なのだ。

霊界やアストラル界と呼ばれるアチラの世界は個人的体験から言って鮮明な思念の世界だと感じている。現実以上にハッキリとした触覚を感じられる空間もあり、そこでさえ思念によって存在するならば、地獄の想念を持った者同志が集まれば、とても想像に耐え難い地獄がそこに展開されるだろう。つまり似たカルマを持った魂が集まる事によって、そこに天国も地獄も生じる。それがいわゆるアノ世なのだ。この考え方を軸に、仏教で言う六道輪廻を、カルマ的に解釈してみる。

1.地獄界
殺生を繰り返す魂が集まる事によって生じる世界。特にここは「恐怖」と「痛み」の世界といえるだろう。その想念に囚われてしまった魂は、傷つけられまい、傷つけられまいと考えて他の魂を恐れ傷つけようと必死になる。そうやって己の罪悪感がますますその世界に自分を縛り付ける事によって成り立ってしまう世界だ。
2.餓鬼界
貪る魂の集まる世界。求める事に執着してる状態なので永遠に満たされる事がない。自分の物も奪われるのではないかと言う不安から必要以上に他の物を奪おうとする。食べても食べても満たされない、永久に満足できない。互いに奪い合って苦しむ世界。
3.畜生界
煩悩的で怠惰な魂が集まる世界。理性も思考もない。この辺りは現実で言う家畜や人間以外の動物への転生にも関係してそうだ。
ちなみに昔飼ってた猫が、とても何だか人間臭くて、前世を少し覗くと、猫好きで異性関係にルーズな水商売の女性のイメージが出てきた。そう度々見かけるものではないが、人間からペットへと転生してしまうケースもあるのだろう。
4.修羅界
争いを好む世界。プライドが高く勝つ事に必要以上に執着した世界。知性はあるのだが心の平安がない。
傷つける事に執着した魂なら地獄に行くだろうし、執着そのものが強ければ餓鬼だろう。それと区別されている所を見ると、比較的人間界に近い闘争心そのものを軸にした別次元を指しているのだろうか。人間界で言えば戦争などに関わる世界が近いのかもしれない。
5.人間界
我々が生きているこの世界。ある程度の利他の心や愛情のある魂が集まる世界。その人間界の中でも六道の様に魂の状態が分かれているように感じる。そう言う意味では、どの世界にでも転生する可能性の生じやすい世界と言えるのかもしれない。
おおよそは人間は人間へと転生を繰り返しているとは思うが、時代が進むにつれ下の次元に落ちる可能性も大きくなっているとは感じている。人間社会は人間の都合によって人間にとってのみ楽な方向へと発展してきた。楽だけならともかく堕落させる要素が異常に増えてしまった事も注意すべき点だろう。
6.天 界
さらに利他的な魂が集まる世界。互いに相手を尊重できるがゆえに喜びに満ち溢れた世界が生じて出来ている。人間界で言う愛情とは違い自分が愛されたいと言うエゴを含まない放射状の愛をベースとした世界と言えるだろう。

地獄も天国も我々の心が作り出してるとも言える。それはこの現実においても同じはず。似た思想の持ち主が自然と引き合う事によって縁が生じ、この世においても地獄や天国と言った状態のグループが形成される。
あらためて「気持ちのカルマ」の重要性を感じずにはいられない。

カルマの消化法

では、どうすれば悪いカルマは消せるのか。
もう一度、最初のラクネラくんの例で考えてみよう。
彼は嫌悪してプジャくんを殴った。「行動」と「気持ち」の「悪いカルマ」を背負ったワケだ。
そんな彼が将来、プジャくんを引き寄せ、殴られたとする。そこでまずは「行動のカルマ」は消化された事になるだろう。しかし「気持ちのカルマ」は消化された事になるのか?

実はここで殴られたラクネラくんが「殴りやがってコノヤロウ!」と「嫌悪」したら、「行動のカルマ」は消化できても「気持ちのカルマ」は、また新たに背負い直してる事になるのだ。
この「嫌悪」から、またラクネラくんがプジャくんを殴ったりしたら、「行動のカルマ」も背負い直した事になる。

さらに場合によっては、ここで殴り合いになるだろう。そうなるともうカルマの積みと消化のかけ合いだ。ここでお互い虚しくなって止めたら(「嫌悪」も無くなったら)、ここで一応、二人共「行動のカルマ」も「気持ちのカルマ」も消化したと言えるだろう。青春ドラマですな。

  • カルマの消化

 

ただここで「一応」と言ったのは、これが一時的な消化である場合が多いからだ。そもそも二人とも「嫌悪」が強い性格の為に引き寄せあったとも言える。この性格的な部分は転生してもなかなか変わらない。来世では、またお互い新たに「嫌悪」から始まり殴り合いに発展する可能性も十分にある。

では、本当の意味でのカルマの消化とは、どうすればいいのだろう。それは結局、何があっても潜在意識が、それに囚われない事だ。

上記のラクネラくんで言えば、プジャくんに殴られても、その事に囚われない事。極端に言えば、それが自分のカルマと何らかの関係のある運命だと受け止め、何があっても嫌悪しない事なのだ。

そんな修行者のような事が出来るのか?(私には無理だ)
じゃあ、どうすればいいんだ。もう少し具体的に書いてみよう。

返ってくるカルマの場合

何故こんな事されるんだ、何故こんな惨めな気持ちになるんだと思えた時。過去を振り返って、今の自分の気持ちと同様の気持ちにさせたかもしれない人を捜してみる。そして見つかったらイメージの中で、その人に対して懺悔すると同時に、今こんな気持ちにさせる相手を、過去の自分と同じだと認め許していく。

ただし、起こった出来事に注目するのでなく、相手や自分の気持ちに注目する事が大切だ。
例えば「嘘をつかれた」としたら、過去において自分がついた同じ様な嘘を探しても見つかりにくい。そうではなく「相手がどう言う気持ちで嘘をついた」か、あるいは自分は「嘘をつかれて、どう言う気持ちになったか」に注目する。すると相手は「嫌われるのが怖くて嘘をついた」と言う風に感じられたら、自分も過去に嘘ではないけど「嫌われるのが怖くて無視してしまった」と言う風に出てきたりする。それに対して懺悔するワケだ。

懺悔とは自分を責める事ではない。自分を許す事なのだ。イメージの中で懺悔し自分を許す。自分が許せると相手も許せるようになる。宗教などで懺悔を重視されるのは、こう言う意味があるのだろうと個人的には感じている。

ちなみにこれは私の例だが、私はタバコは全く吸わないのだが、一時期なぜか自分の周りにやたらタバコを吸う人が寄ってくる事があった。その頃いた会社では同じ部署内で自分以外全員ヘビースモーカー。またカフェに入るといつも禁煙席が一杯で喫煙席に座る事に。そんな事がやたら続いて、どう考えても自分がタバコのカルマを持ってるとは思えない。

しかし、ある時ふと気付いた。タバコではなく、この「煙たい」と言う想いなら周囲に沢山与えた事が一つあったぞ・・と。それは以前、乗っていた中古の四駆がディーゼルエンジンで、いつも黒い煙を吐いて走っていたのだ。乗ってた頃は気にしてなかったが、今考え直すと道行く人や、後ろを走ってた車は煙たかっただろうなぁと、もしかしてこれがカルマとして返ってきてたのか?と気付いたのだ。

それ以降、目の前でタバコを吸われる度に、自分の四駆が吐いてた煙の事を思い出して反省してしまう。すると不思議な事にカフェに入っても禁煙席が一杯と言う事が急に無くなって来た。さらに仕事場の設計室が、煙はPCに良くないって事で禁煙になった(私が提案したのではない)。さらにそのうち社長の方針で、社内の殆どの場所が禁煙となってしまい、煙を吸う事自体、全く無くなってしまったのだ(決して私の陰謀ではない)。

他にも例は色々あるのだが、この「事象」でなく「気持ち」に注目してみると意外とカルマは発見しやすい。そして、このイメージの中で懺悔すると言うのが、なかなか効果があると感じている。特にこの返ってくるカルマを意識してみるだけでも色々効果があると思う。

繰り返すカルマの場合

悪いカルマは「罪悪感」、良いカルマは「充実感」で説明したが、もう一つ「罪悪感」や「充実感」を誤認識するカルマの返り方がある。

幼児期に親に虐待されると「暴力を振るわれる=(イコール)自分は悪い子」あるいは「暴力を振るわれる=(イコール)愛されている」と言うズレた認識が潜在意識に残ってしまう。これは誤認識の「罪悪感」及び「充実感」と言える。
これが大人になってから「悪い子だからもっと暴力を振るわれるべき」とか「愛されたいからもっと暴力を振るわれるべき」と言う誤った潜在意識の要素が暴力を引き寄せる。無意識に暴力を振るう人を好きになってしまうのだ。しかもこれを輪廻の中で繰り返してしまうケースもある。

こう言った場合、どこかで反動として返すカルマを繰り返してる(例えば自分の子供に暴力を振ってしまう)などの可能性も無くは無いのだが、まずはこの誤認識を見つけて正していかなければならない。
この繰り返すケースは、カルマと見なさずとも、潜在意識の「思い癖」として、それ相応の心理療法もあるので、深刻な場合は専門のカウンセリング等に行くと良いだろう。
あるいは、そこまで深刻でなければ、誤った認識だと表層意識でしっかり解釈できるなら、イメージの中で、その原因となった過去の出来事を思い出して、その時の過去の自分をイメージの中で、つらかったね、あなたは何も悪くなかったと、癒してやる方法もある。この辺りはインナーチャイルド等で検索されると色々な方法が出てくる。

前世のカルマの場合

今世のカルマは思い出す事が出来ても、前世のカルマは普通では思い出せない。こう言った場合ひとつは、ちょっと宣伝になってしまうが、ヒプノセラピーを利用する手がある。

ヒプノセラピーは今世においてのカルマ、幼い頃の感情などを開放してやる事に効果があるのだが、前世においての感情の開放も、ある程度可能なのだ。
ヒプノで過去世の記憶を思い出すと同時にその時の感情も浮かび上がってくる。
潜在意識には記憶と一緒に感情が記録されており、この感情が自分を無意識にコントロールしてしまうと言っても過言ではない。その感情を引き出して癒したり懺悔したりする事がヒプノでは可能なのだ。

  • カルマの消化

 

ただし、繰り返しのカルマを思い出すよりは、返ってくるカルマの原因を引き出す方が効果は大きいと個人的に感じている。
例えば今世で傷付けられる運命の原因を知りたい場合、前世は沢山あるので、今世と同じ様な傷付いた気持ちになった前世が出てきやすいのだが、どこかに逆に自分が誰かを似た様な気持ちにさせた前世もあるもの(事象でなく気持ちに注目する事が重要)。
潜在的な罪悪感が、繰返し傷付けられる運命を惹きつけてるケースがあるのだ。これは自分の体験で感じた事なので、誰にでも当てはまるかはわからないが、こう言うケースもある事を一つ知ってもらいたい。

普通、自分の悪い部分は認めたくないのが人間だ。それだけに出にくいものなのだが、それを引っ張り出してしっかり懺悔が出来ると、その一連のカルマを断ち切りやすい。

お近くでヒプノを受けられる場合は、その過去世が本物かどうかに囚われる事無く、その時に湧き上がってくる感情に注目して十分に開放し、癒し懺悔されるといいだろう。

ちなみに先ほど「ある程度可能」と書いたのは、やはり前世は転生をまたいでいるだけに、ヒプノで完全なカルマの消化が可能かと言うと難しいと考えている。おそらく今世に影響を与えてる範囲での、ある程度の理解や消化は可能だろうが、来世にはまた消化しきれていないカルマが出てくる事も考えられる。
だからこそ、それを消化しようと何度も人間に転生し今の運命があるとも考えられる。
そう言う意味で重要なのは、出来る限り嫌悪したり、物事に囚われたりする事無く、今の人生を精一杯強く生きていく事がカルマの消化にも繋がると言えるだろう。

その他の場合

個人のカルマでは片付けられない事象もある。これはまだ十分に検証できていないので断言は出来ないが、カルマが互いに影響を与える可能性も考えられる。

例えば普段自分はあんまり食べないのに、よく食べる人の近くにいると不思議と沢山食べてしまうとか。一緒にいると気分が重くなったり、逆に気分が軽くなったりするなど。これは相手のカルマのエネルギー的な影響の可能性が考えられる。
他に土地のカルマだとか、家族のカルマ、組織のカルマなど他にも色々なカルマが考えられるだろう。病気や事件、災害に巻き込まれる事象も、カルマで解こうとすれば、それに伴う感情との関係や、また現代においては特に罪とはされないが、罪悪感の伴う行為など、色んな可能性は考える事は出来るが、それを一般論で語るのは難しい。これ以上は自分自身で感じて探ってもらうしかないだろう。

正直、私も書いてて疲れてきた。つくづくカルマについてここまで懸命に書いてる自分は、ある意味、立派な変態だと思う(とりあえず、そっとしておいてもらいたい)。

そんな訳で、全てを正確にカルマで説明するのは無理だ。そして起こる事象は、それを感じる本人にしかわからないとも言える。ただ、先ほども書いた様にポイントは、そこにある「気持ち」だ。その時の「気持ち」を意識する事は結構有効だと感じている。
そして私の経験上から言って、罪悪感を感じる行為を出来る限り日常生活から排除し、人に感謝される行動を意識した方が、物事がスムーズに進むと感じられている。

カルマの縁の断ち切り法

前項では消化する事を中心に語ったが、カルマと言うのは、その人の性格や環境が変わらない限り繰り返してしまいやすい。

ここで、再び「縁」の事を思い出して欲しい。
あらゆる事象が、カルマによって引き起こされるとしても、いや引き寄せの法則だとか、波長の法則だとか、それらによって引き寄せられるとしても、それが納得できない事象だとしても、現象として起こっている事に対して自分がそれに巻き込まれている以上、その現象と自分との間に「縁」が生じているのは確かだ。

ならば、そう言った事象に繰り返し巻き込まれない為には、その事象との「縁」を最終的にしっかり断ち切っておく事も重要になってくると言えるだろう。テーマによっては一つ一つ自分のカルマを分析するより、縁を断ち切っていく事に集中した方が早いかもしれない。

そもそも何故、自分が今この「縁」に巻き込まれているのか、この「縁」と自分との共通点は何なのかを感じなければならない。
例えば一番生じやすい悪い縁として「嫌悪の縁」がある。悪口の絶えない職場やグループにいると、ついつい自分も一緒になって悪口を言ってしまうだろう。しかし潜在意識においては罪悪感が積もっていく。かと言って仲間の言う悪口を否定したり、自分だけ正義ぶるのも難しい。どうすればいいんだ??

まずは、一緒に悪口を言うのでなく「あいづち」に切り替えるとイイ。
A「この間、○○課長また怒鳴ってくるんだよ、ムカツク~!」
B「そうそう、○○課長、最低だよね!」・・ではなく
B「そうか、また怒鳴られたんだね。それは嫌な気分になるよね」と共感してうなずくだけで良い。

ここで「最低だよね」と言う形で合わせると、さらに嫌悪が増すだけである。嫌悪の縁が深くなるだけだろう。
こう言った「嫌悪の縁」を断ち切りたいのであれば、Aの「ムカツク」と言う嫌悪の気持ちに囚われるのでなく、Aの、怒鳴られた事に対するつらい気持ちの方に集中して「それは嫌な気分になるよね」と返すのだ。返し方が難しければ、相手に寄り添う気持ちで「うん、うん」とうなずくだけでも十分だ。
そうする事で、Aの意識は○○課長でなく自分のつらい気持ちの開放に意識が向いて、嫌悪を強める事なくスッキリできるのだ。

こうやって嫌悪の感情が弱まる様に繰り返すと、嫌悪の縁そのものが嫌悪でない縁に変化してくる。
あるいはAの嫌悪が弱まらなかったとしても、Bに対して嫌悪する事は無い。Bに話しても盛り上がらないと感じて、そのまま自然と縁が断ち切れていく。そしてBの元には、嫌悪の弱いCと言う新たな縁が生じてくるかもしれない。

嫌悪以外の縁であっても断ち切るコツは、前項でも語ったように、その事象そのものに囚われない事だ。そして相手や自分の気持ちの動きに集中していく事で、自分が何故この縁の中にいるのかが見えてくる。そうなれば、自分がどうして行きたいのか、その為には自分はどう言う風になればいいのかも明確になってくるだろう。

宇宙のカルマ

「集合的無意識」と言う言葉を聞かれた事はあるだろうか。我々の意識が奥深い所では一つに繋がっていると言う考え方だ。
何故急にこの話を持ち出したかと言うと、先ほどにも話した様にカルマの法則だけでは、解き難い現象はまだまだ沢山あるからだ。

例えば、もし人類が天災によって滅んだとしたら。いったいそのカルマはどこから生じたと考えればよいのだろう。
地球にもカルマがあるとしたら、人類が繰り返す自然破壊によって返って来た人類にとってのカルマが天災だと解釈できる。しかし、どこかの一人の独裁者が核兵器で人類を滅ぼしてしまったら、そのカルマはどう理解すればよいのだろう。

何億何兆と言う生命を一人の人間が奪ったとしたら、果たしてそれだけのカルマを一人の独裁者が背負う事が出来るだろうか?
また、犯罪被害者の全ての人が前世で犯罪を犯していたと言えるのだろうか?
ヘレンケラーはどう言ったカルマの持ち主だったと考えればいいのだろう?
平和を訴えようと必死で生きてきた人が暗殺されるのはどう言うカルマなのだろう?
釈迦のカルマは?イエスのカルマはどんなものだったのだろう?

いや、それよりもっとそれ以前の事を考えるなら、複雑に絡み合った良いカルマも悪いカルマも最初はどこから生まれたのだろう。
生命にとっての最初の悪いカルマがあるとしたら、その悪いカルマを犯すカルマはどこから生じたのだろう?アダムとイブの原罪は、いったいどういったカルマから生まれたと言えるのだろう?

そう考えていくと、カルマそのものに多くの矛盾が生じる。これまで語ってきたカルマで、とても全ての現象が解けるとは言えない。いや、ホント繰り返し書いているが、考えれば考えるほど私自身くたびれる。

ただ、ここまで書いて、人の運命が単なる偶然の集積によって成立しているものではない事は事実だと感じられるだろう。そこに何らかの法則性があり必然が生じているのだと。

カルマはある意味「心の揺れ」だと感じている。心が揺れるから、そこに善悪と言う価値観が生じ苦楽が生じるとも言える。
我々の心から揺れが無くなったら、個人と言う自我そのものが無くなったら、個人を超えて我々の深い深い部分、魂が一つに繋がってる部分、集合的無意識、超潜在意識と呼ばれる部分、そんな領域に近づけたら・・。
その時に宇宙(神)のカルマとも言える大きな法則性の正体も見えてくるのかもしれない。
我々の魂の奥深い所ではそれを望んでおり、その表れがこのカルマの法則なのかもしれない。

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