前世の日記探し2-広島編1

前世の日記探し2-広島編1 2003年11月03日 23:48 Pages: 1 2 3

2003年8月30日(土)「龍伝説」

今朝は直径3センチぐらいの小さなピンクの蓮の花の夢を見た。何か小さな発見があるのかも。

AM8:00 起床。朝食をとる。
AM9:00 ホテルをチェックアウト。一応ホテルの人に大きな図書館はないか聞いてみると、広島城近くに中央図書館があるらしい。中央図書館なら色々竜王町の資料とかも詳しいものがあるかもしれないと思い広島城の方へ向かう。現在、オドメーターは106,147km

広島城周辺を走り回るがよくわからない。仕方なく病院の有料駐車場にクルマを止め歩いて探す。
AM10:00 ようやく中央図書館を発見、入館する。
3Fに広島の資料室の様な所があったのでそこに入る。とにかく竜王町の歴史関係の本を探す。

う~ん、なかなか詳しいのが見つからない。と言うか、古い資料では「竜王町」の場所が何やら違う地名になっているのだ。もしかして「竜王町」と言う名は最近付いた地名なのだろうか?
とりあえず竜王町の名前の由来について調べてみる事にした。すると、どうも「竜王町」と言う名は戦後、昭和45年頃に付いた名らしい。しかし何故「竜」なのか?
ここでふと昨日寄った三滝寺の「滝」と言う字にも「竜」と言う字が含まれている事に気が付いた。何か竜に関係する伝説でもあるのか? この「滝」と言うキーワードが、どうも気になる。
今度は三滝寺(三滝町)についても調べてみた。しかし三滝寺関係は観光地だけに観光についての情報ばかりでなかなか歴史のわかる話が見つからない。

しかしここでひとつ分かったのは、三滝寺が弘法大師によって開山された寺であるらしい事。そ、そう言えば何やら大師っぽい像もあった・・(^^;)。三滝を「まこと霊地なり」と弘法大師が言ったと伝えられてるようだ。それなりに怪しい場所ではあったみたい。
龍についての話はなかなか見つからなかった。

次に航空写真で調べてみる事にした。航空写真でもあれば自分の住んでた寺跡なんかも見つかるかも・・と思ったのだ。
戦前と現代と見比べられる写真集を見つけた。竜王町辺りはホント最近拓けたみたいで、当時は本当に山の中って感じみたいだ。ふと三滝町についての記事があって読んでみる。するとここでようやく竜にまつわる伝説が見つかった!

本文をそのまま載せる訳にはいかないのでおおよその事を書くと・・
三滝の奥の黒谷の深い穴に途方もない大きな蛇(龍?)が住んでおり、この穴は現在も有り、40~50年に一度、蛇は出てくるらしく、そのたびに三滝一帯は山津波に襲われるらしい。この蛇は普段はお姫さんの姿をしてると言われている。
大正15年秋、この龍が海に下ったと言われ、山が流れてきたらしい。大松が立ったまま流れてきたと言う。
昭和38年秋、この龍の昇天を見たと言うお婆さん(故人)が地元にいたらしい。
しかし、40~50年に一度って言うのが本当なら、ちょうど今年からこの先10年以内にまたこの地に龍が現れるハズって事になる・・。

この辺りの伝説が地名に関係してるのだろうか?
そしてもう一つ、気になる話がのっていた。
三滝寺の古い坊さんは杖を持ち一本歯の下駄を履き、カラスを見て「宮島さんが呼んでいる」と言って出かけ、バスも電車もないのに2時間ほどで帰ってきたらしい。当時は空を飛んでいくのだと思われていたらしく、日常生活においても色々奇行が多かったらしい。
ここで「宮島」と言えば、Sさんが宮島は昔、修行の場だったらしいと言ってた話に繋がってくる。今回は宮島の方に行く時間はないが、このお坊さんの話、いつ頃の話なのかは分からないが、この坊さんについて調べてるって理由で、近辺の寺をまわって話を聞くのも一つの手かも、と思った。
やはり、三滝寺近辺は結構怪しい繋がりがありそう。

PM12:00 とりあえず航空写真集に載ってた記事のコピーを取り、図書館1Fの食堂で天ぷらうどんを食べる。
PM12:30 図書館を出る。Sさんとは三次で4時に待ち合わせしてるので、クルマでもう一度三滝寺の方に向かった。

PM1:00 今度は三滝寺にクルマを止め、歩き出す。もう一度案内地図看板を見て、昨日見てなかった展望台と言うのを見つけそこに向かってみる。ふとそこは細い石段を登っていくのだが、そこから見える街の景色が、何となく前世スケッチの一枚に似てる気もした。いや、ありがちなスケッチだし可能性は低いかな。町に近接した山に登れば大概見られる風景でも有るので、昨日の霊園ほどの確信はない。
と言うか、この三滝寺全体があんまり古さを感じさせないというか、わりと新しい感じがしてたので、オレが前世で住んでた寺とは別だとは思うが、まぁご近所さんって感じはある。
小さな展望台には何か建物跡らしき場所があってお墓らしきものが有った。何があったのかちょっと気になったが、わからない。
一休みしてまた降りる。
あらためてここには近いうちまた来てみたいと思った。

 

PM2:00 クルマで三滝寺を出発。三次に向かう事にする。R52に乗ってひたすら走る。途中ガソリンを給油。雨がポツポツ降ってきた。そう言えばSさんは雨女(^^;)。ちっ、曇り男のオレがまた負けてるのか?
PM3:30 三次に入る。4時にSさんと再会。ファミレスで、オレは晩飯、Sさんは昼飯をとりながら、また怪しい話に花開く(笑)。ドリンクバーとパフェで4時間粘り(笑)、8時には別れる。外はすっかり雨。やっぱり負けた・・って感じだ(笑)。
Sさんは夜勤に向かう。オレは京都に帰るべく三次インターへ。

PM8:30 三次インターから高速に乗る。雨と霧でまた走りにくい。夜と言う事もあり慎重に走る。

  • 広島
    三滝町出発。市内に戻る途中
  • 広島
    三次まで、もう
    ちょい
  • 広島
    夜の高速・・この
    後、霧雨に!

 

PM11:00 姫路を過ぎた辺りで高速の表示板に「西宮北ー宝塚、事故により通行止め」と出ていた!げ、この雨で事故があったのか?西宮北で仕方なく高速を降りると同様のクルマで一般道は渋滞していた。なかなか進まずようやく再び宝塚インターから高速に乗る。京都南インターで降りる。

AM1:00 夜中・・ようやく自宅にたどり着く。オドメーターは106,568km。前世探しの旅・・その一(?)は、こうして幕を閉じる。お疲れ様でした。

  • 【本日のデータ】
  • 走行距離:421km
  • 出費(約):朝食600、昼食400、駐車場1,100、ガソリン5,600、夕食(パフェ込み)2,000、高速5,850+1,500-200、お茶類300・・計17,000強
  • 主なBGM:サラブライトマンと尾崎豊(-_-;)
  • 広島
    広島にはまた来て
    やるぞ

 

旅を終えて・・。

京都に帰ってきて、あらためて三滝寺や原爆についてネットなどで調べてみた。

広島原爆の当時の死者は、25,000人。戦後を合わせると260,000人になるらしい。
京都も原爆投下の目標候補に上がっていたのは有名な話だが、京都がそれまで爆撃されなかったのは歴史的文化財の価値云々の為ではなく、この原爆の投下目標として温存されてた為らしい。地形的に原爆の爆風によって効果的に破壊できる理想の場所として、京都も候補に上がっていたらしいのだ。そう言えば確かに町の雰囲気と言うか、すぐ近くが山に囲まれてるトコなんかは広島と京都ってすごく似ている。
三滝寺も山の中にある寺ではあるのだが、一応広島市内になるのだ。
原爆投下地点から約3.5km程しか離れていないと言う場所であり、当時は爆風などで結構被害にあった場所でもあるらしい。
だから全体的に新しい感じがしたのか・・。戦後に色々建て直されたのだろう。
「竜王町」と言う地名も昭和45年頃についた新しい地名らしいし、これもやはり龍の伝説にちなんで付けられたのだろうか?

何かと縁を感じる「竜王町」に「三滝寺」。一つ前の前世で、原爆が投下された当時この近辺に住んでたのは確かだと思った。その後に京都に移ったのか、それともそれまでに京都にいたのかはわからない。戦時中一時的にこの地にいたんじゃないか?と言う気もするのだが・・。次回はさらに詳しく調べてみたい。
しかし調べれば調べるほど原爆についての思い出したくないような記憶も出てきそうで、ちょっと怖い気もする。でも同時に思い出さなければ・・と言う気もしている。と言うか忘れてはいけないような・・。

広島に行く事があったら、資料館は是非見てみて欲しいです。なぜ入館料が50円なのかもよくわかるはずです・・。

  • 広島
    広島はまた来なければ・・
  • 広島
    そして思い出さ
    ねば・・
  • 広島
    そういや広島城
    には入ってない
  • 広島
    関係ないけど今回も
    やはり運転しながら・・

 

ところで、旅から帰って間もなく祖父が他界しました。その関係でドタバタしてしまって、Oさんともじっくり会う間もなく旅の検証もしっかり出来ないまま、気がついたら2ヶ月遅れのとりあえずの公開(^^;)。また何か分かった時は追記として加えたいと思う。ただ、戦時中一つ前の前世の自分はこの三滝町あたりのお坊さんだった事は間違いないと確信できた。これを引き金にして何とか前世の日記を見つけたいのだが・・。果たして・・!?
今後の前世探しの旅にこうご期待って事で・・。

  • 【3日間の全データ】
  • 全走行距離:884km
  • 全出費(約):宿泊費12,000弱、食費9,000強、ガソリン6,000弱、高速15,000強、雑費3,000弱・・計約45,000円
  • 主なBGM:サラブライトマンと尾崎豊(^_^;)、その他色々
  • 広島
    今回の旅のお供。
    日産テラノ・・
    (多分もう限界)
  • 広島
    OLYMPUS-C4100
    今回も活躍です
  • 広島
    そして今回
    のみ?のお供
    MONTAGUEのMTB

 

2004年6月27日(日)追記

  • 広島
    そこにはいったいナニが・・

かなり時間も経ってしまったが、Oさんに広島の旅写真を見せる機会があって、ひとつ小さな発見があったので付け加えます。

左の写真・・。原爆ドームの西側2階の窓の部分。この写真見て何か感じる方はいるだろうか?
実はこの写真を見たOさんが「あれ?何でここ撮ったん?」と驚いた様子で聞いてきた。

何でと言われても、オレは何気に無意識に撮っただけなのだ。しかしOさんは以前から原爆ドームのこの角度から見たこの窓の奥に見える壁がずっと気になってたと言う。
??
この写真は2階の窓。で、奥に見えるレンガの壁は3階の壁。 改めて見直し、感じるモノは、そこに幽霊がいるとかそう言う感じではなく、原爆が落ちる前に関係するような・・。例えば前世の自分が、そこによく来ていたとか・・。また、何となくだが、その壁に絵か何かがあった様なイメージと、2階のその窓から外を眺めてる昔風の女性の様なイメージも出てきた。

で、ちょっと気になり始めてネットで少し調べてみた。 すると「あれ?」と思う画像がいくつか出てきた・・。それは原爆が落ちる前の内部を再現しているCGなのだが、特徴的な大きな階段があり、その雰囲気に何となく見覚えがあるのだ。CGには再現されてなかったが絵なんかがよく並んで飾られていて、それを見ていたような気がするのだ。

しかし、ここで記憶の混乱が生じる。 「旅記録」の「出雲編」の3月1日(土)の記録で「以前バイクで来た事があったのだが、その時は確か中にも入れたが、今は工事中(?)なのか中に入れなくなっていた。」などとマヌケな事を書いていたのだが、よく考えたら原爆ドームの中に入れるわけが無いのだ(^^;)。でも、なぜかドームの中に入って階段を登って壁に並んでる絵や写真を見た様な記憶があるのだ(??)。それも原爆の悲惨さを伝える資料写真などを見た様な記憶の錯覚を起こしていたのだが、そう言った物があるのは資料館の方で原爆ドームではない。しかし資料館は今回の旅で初めて入ったのは確かなのだ(^^;)。
どーも、これは前世の自分が原爆が落ちる前のドームに入った事があり、その時のイメージが今の記憶とごっちゃになってしまってるのではないのか?
そう考え、ちょっと原爆が落ちる前のドームについてさらに調べてみた。

で、分かってきたのは・・原爆ドームは元は「広島県産業奨励館」と言う建物で、物産品の展示・販売や催し会場、博物館、美術館の様な役割も兼ねてたようだ。多くの人に親しまれていた事が容易に想像できる。前世の自分がたまに来ていた可能性も十分にある。この特徴的な階段を登った所に絵なんかも飾られてたのかもしれない。その記憶が現世で原爆と言うイメージとごっちゃになって、ドームの中が資料館になってるような記憶が出来てしまったのかもしれない。

では、この写真は?絵や女の人のイメージは?その辺りまでの正体はわからない。わかったとしても前世の自分の詳細を知る大きな手がかりに繋がる感じも無さそうなので、この辺りは特に今後積極的に調べるのはよそうと思う。三滝寺中心に調べた方が早そうだ。

この窓に関する引っ掛りは、もしかするとそこでのちょっとした何か心に残る思い出の様な記憶に触れてしまったのかもしれない・・。

もし前世の日記が見つかったら、その日記に一つのエピソードとして何か出てくるのかもしれない・・。

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