あやしひ考察記

カルマの法則 2005年05月07日 22:04 Pages: 1 2

*最終加筆更新日:2009年06月11日

カルマとは一言で言うと「成した行為は自分に返る」と言う法則だ。
ただの昔の説教くさいことわざの様なものだろうと普通は考えるだろう。

しかし私自身、いくつもの前世を思い出したり、最近はヒプノも始めて色んな人の前世も目のあたりにする様になってから、これはとても日常生活に密接していると、ウムム!と考えさせられてしまう様になった法則なのだ。

先に少し種明かしするが、カルマは神様が罰を与えるとか、褒美を与えるとか、そう言った神秘的なものでも何でもない。我々の潜在意識の働きと深く関係のある一つの「しくみ」なのだ。

ここではカルマとはどう言うものか。そしてカルマと潜在意識との関係、カルマから見た死後の世界とカルマの消化法について解説していく。

なんだかすんごく怪しい話が始まるのか?とひいてしまう方は、悪い事は言わない、ブラウザー右上の「×」をクリックし「今、一瞬『カルマの法則』とか言う変なページを見た気がしたが、これは『たじまの豚足』の見間違いだ!きっとわたしの視力が落ちたのだ!」と考え、こっそり視力検査に行きましょう。

*記事更新履歴

なお、これらの考察記事の内容が完璧になる事はない。これからも新たな発見や気付きが予想される。それがまとまった時点でまた修正していくつもりである。この記事は現時点での見解として、ご了承いただきたい。

修正1:2009年06月11日:内容及びイラスト差し替え
初公開:2005年05月07日

カルマとは何か

カルマは仏教用語で「自分の成した行為は必ず自分に返る」と言う法則だ。「因果応報」「業」「原因と結果の法則」などとも言う。
誰かを傷つけたら、同じ様な形で誰かに傷つけられる。また誰かを助ければ、同じ様に誰かに助けられる。
ようはイイ事をすればイイ事が起きるし、悪い事をすれば罰が当たりますよと言ってる訳だ。

また今世の幸、不幸も前世の行いの良し悪しですでに決まっていると言う・・簡単に言えばそう言う法則なのだ。言ってる事はわかるのだが、果たしてそんな法則が実際に我々に影響してるものなのか?そんな事をこれから真剣に検証していく。

まずはここでカルマを3つに分けてみようと思う。
1つは「行動のカルマ」。もう一つは「言葉のカルマ」。最後に「気持ちのカルマ」だ。
これは仏教などでは「身業」「口業(語業)」「意業」の3種に分けられ「三業」と呼ばれているものなのだが、ワザワザ難しい言葉で分かりにくくするのも私の頭が疲れるので、ここでは簡単にイメージし易いように「行動」「言葉」「気持ち」の三種とした。

・行動のカルマ
身体的活動によるカルマ。殺生や暴力、盗みなどは「悪い行動のカルマ」、
救助や看病などは「良い行動のカルマ」と言えるだろう。
・言葉のカルマ
言葉によるカルマ。罵倒、陰口、嘘などは「悪い言葉のカルマ」、
褒めたり励ましたりは「良い言葉のカルマ」になる。
・気持ちのカルマ
心(感情など)によるカルマ。嫉妬や嫌悪は「悪い気持ちのカルマ」、
同情や思いやりの心は「良い気持ちのカルマ」になる。

以下にその3種のカルマを順に解説していく。

行動のカルマ

  • カルマの法則

 

例えばラクネラくんがプジャくんを殴ったとする。この場合ラクネラくんは「殴った」と言う「悪い行動のカルマ」を背負ってしまった事になる。
この悪いカルマはラクネラくんが誰かに殴られない限り消えない。これが来世で誰かに殴られたとしたら、その時ラクネラくんの「殴った」と言う「悪い行動のカルマ」は消えるわけだ。

では最初に殴られたプジャくんは何で殴られたのだろう。これはプジャくんもまた前世で誰かを「殴った」と言う「悪い行動のカルマ」を持っていた事になるのだ。そして今、ラクネラくんに殴られる事で、そのカルマを消化したと言える。これがいわゆる「悪いカルマ」の基本的な「原因と結果」の流れと言える。

ただ、ラクネラくんがプジャくんを殴ったのは「悪い行動のカルマ」になるのだが、同時にプジャくんに対して嫌悪して殴ったワケだから「悪い気持ちのカルマ」も積んでいる事になる。
と言う事は、来世(将来)「嫌悪」を持って「殴られる」、あるいは「嫌悪」されるのと「怪我」をすると言う別々の形で返ってくる事も考えられる。

そう言う意味では「行動」や「言葉」のカルマは「気持ち」のカルマをベースにしている事がほとんどだから「気持ちのカルマ」が最も重要とも言える。
悪意を持って傷つけるのと、不注意で傷つけてしまうのとではカルマの返りも全く違ってくる訳だ。

またカルマと言うと転生をまたがるイメージが強いが、実際は今世の中で返ってくる場合も多々ある。
カルマは「原因・縁・結果」あるいは「原因・条件・結果」の法則とも言われている。
つまり転生に関係なく、「原因」があり「縁」が生じた時点で(「条件」がそろった時点で)「結果」が返ってくると言うのだ。

言葉のカルマ

  • カルマの法則

 

「悪口」は一番身近で犯しやすい「悪い言葉のカルマ」になるのではないだろうか?
悪意が無くてもついつい言ってしまう事もあるだろう。それでも「悪い言葉のカルマ」として返って来るものなのだろうか?

ラクネラくんがプジャくんに向かって「プジャくんは太ってるにゃあ」と言ったとする。
これを聞いたプジャくんは結構傷ついてしまったとする。これをカルマの法則で言うとラクネラくんは「言葉のカルマ」を背負ったわけだから、軽い気持ちで言ったとしても(「気持ちのカルマ」は小さかったとしても)、いずれ誰かにそれ相応の悪口を言われ、傷つく事になるだろう。
今生のうちに言われるかもしれないし来世で言われるのかもしれない。

ところで、何故わざわざラクネラくんはプジャくんに向かって「太ってるにゃ」なんて言いたくなったのでだろう。
それはラクネラくん自身、何かしら同様の欠点を潜在的に自覚しており、それを認めたくないから他人の欠点を見つけて、自分の欠点を意識しない様に誤魔化そうとしている・・と捉える事が出来るのだ。

つまりラクネラくんの場合、「自分も太ってるよな」と言う自覚が潜在意識にあり、それを表層意識では認めたくないから、太ってるプジャくんを見つけて「プジャくんは太ってるにゃ」と言葉にする事によって自分はそれほど太ってないと自分に言い聞かせたかっただけなのだ。

そう考えるとあらゆる「悪口」は言ってるその人自身の中にもある要素と言う見方が出来る。横着な人ほど横着な人が気になるものだ。浮気願望のある人ほど恋人の浮気をすぐ疑うものなのだ。
また「悪口」が「その人自身の中にもある要素」として捉えずとも、悪口ばかり言ってる人が、周りに非難される(悪口を言われる)ようになるのも想像に優しい。これをカルマとして見る事も出来るだろう。

逆に「褒めの言葉」や「励ましの言葉」と言った「良い言葉のカルマ」はどうだろう。利他的な気持ち(良い気持ちのカルマ)を持ちつつ、人に対して優しい言葉をかける事のできる人はそれなりに素晴らしい人格の持ち主だ。
当然まわりの人に褒められたり、苦しんでる時に励ましてもらえたりするのは、これもカルマで捉えなくても理解しやすい事だろう。

人の悪口を言いたくなった時は、何故、相手のその部分を悪く言いたくなるのか、自分の気持ちに意識を向けてみよう。自分では認めたくなかった気持ちや癖に気付けるかも知れない。
それに気付けるだけでも、大きく自分を変えていけるチャンスがそこにある事を意味しているのだ。

気持ちのカルマ

  • カルマの法則

 

では、こんな事はないだろうか?転校や転職しても必ず一人やる事成す事が気に入らない人物がいる。
何処へ行ってもやる事成す事が気に入らない人物が必ず一人出来てしまう。
そのやる事成す事が気に入らない人物が転校や転職をしていなくなっても、今度は他の今まで気になってなかった人物の一人がまたやる事成す事が気に入らない人物になってしまう。
別に嫌な人でも悪い人でもないのに何故かやる事成す事が気に入らない。嫌悪してしまう。

「嫌悪」は「悪い気持ちのカルマ」になるが、別に好き好んで「嫌悪」する人はいないだろう。実は「嫌悪」も先ほどの「その人自身の中にある要素」として捉える事が出来るのだ。

上記の例で言えば、これは相手に関係なく嫌悪してるとも言える。つまり嫌悪してしまう要素が相手でなく自分自身の中にある事を表していると言えるだろう。
自分の中で感じ取ってる改善すべき部分をその人の中に見つけてしまうから好きになれない、気になってしまう訳だ。

極端に言えば、例えばせっかく禁酒してるのに、身近な人が美味しそうに酒を飲んでたら気にならないだろうか?腹立たしく思わないだろうか。
でも、それは自分も飲みたいから気になるのであって、もう酒に興味がなくなるぐらいまでになったら身近な人が飲んでても気にならなくなるのだ。
他人の気になる要素は、自分自身の中にもある要素として見る事が出来る訳である。

しかし、こんな事もあるだろう。
車を運転していて、何故かいつも遅いクルマの後ろについてしまい、イライラしてしまう。
自分はこんな風にノロノロ運転で他人に迷惑かけた事は無い!と思うだろう。どう考えてもカルマではないと。
しかし後回しにしてそのまま返信するのをすっかり忘れていた友達のメールがあったりする。そんな形で知らず知らずに相手に「遅い」と思わせる「気持ちのカルマ」を積んでいたりするのだ。
それに気付いて、出来るだけ早めに返信する様に気を付けだすと、何故か運転していて「遅い」と感じる事も無くなって来ていたりする。

ちょっとそれはこじつけじゃないかと思う人もいるだろう。
・・・私もそう思う。
ちょっと出来すぎの例かもしれないと今少し反省してみた。ごめんなさい。でも、これは私自身の例だったりするのだ・・^^;

しかし!そんな感じで起こる「事象」でなく「気持ち」に注目すると「これかもしれない」と思い当たる事が意外と見つかりやすくなるものなのだ。
自分で気付ける範囲で、そうやって良くないと思う部分を自分なりに気を付けていくだけでも、人間関係にイイ変化が起こってくるかもしれない。

カルマの縁

自分の中の要素を他人の中に見ると気になると言う現象、これはお互いに同じ様に感じてるケースも結構あるはず。この場合同じ部分をお互いに持ち合わせているわけだから、言い方を変えれば互いに縁があると言えるだろう。そしてどちらかが変らない限りこの縁はなかなか切れない。

例えば最初のラクネラくんがプジャくんを殴った話でいうと、ラクネラくんは「殴った」と言うカルマを背負い、プジャくんもまた「殴った」と言うカルマを、すでに過去世に背負っていた事になる。
結局二人とも「殴る」と言う行動のカルマ、そして「嫌悪」と言う気持ちのカルマで似た者同士と言えるだろう。

  • カルマの法則

 

嫌だなぁと思えば思うほど、潜在意識では相手に集中している事になる為に、ますます「縁」は深くなっていくのだ。
その嫌悪が消えない限り、来世で何度も出会い、また互いに「殴り」「殴られる」関係が続いていくのかもしれない。
・・・・。
何だか嫌すぎる・・。

ここではちょっと悪い例での縁をあげてきたが、消化すべきカルマ(自分の改善すべき要素、あるいは必要とする要素)を持ち合わせている者同士が惹かれあって縁は生まれる・・と言えるだろう。逆にもし消化すべきカルマを消化できたら縁は切れていくとも言えるはずである。

「カルマ」は仏教用語ではあるが、仏教においては、この世は無限のカルマが絡み合って影響しあって成立ってる世界とも言われている。無数の過去世から未来世へと絡み合ったカルマが続く。何度も何度も繰り返し生まれ変わる私達の運命が全てこのカルマによって支配されていると言うのだ。
「輪廻」とはまさにこのカルマの渦の中をぐるぐる回り続ける状態なのだ。これらのカルマを断ち切るために、輪廻から抜ける為に、修行者は修行し悟りをひらく。
解脱をご検討されている方は、もよりの修行場を探し修行に励まれる事をオススメする。

しかし解脱は考えてないが、さっきの様な嫌なカルマの関係は何とかしたい!と思われる方。どーすれば断ち切れるのか。あるいは、もうちょっと癒し癒される関係とか、イイ関係に変えられないものなのか?次章からその辺りを深めていく。

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